148: Rasタンパク質(Ras Protein)
細胞は常に信号を発信し、他の細胞と養分濃度や成長速度について話し合う一方で、細胞内部で必要なものについても管理している。これらの信号は、混み合った細胞内で忙しく飛び交う信号を細胞が聞き分けられるようにはっきりとした強力なものである必要がある。信号を強化する1つの方法は、ATPやGTPを切断する反応のように化学的に可逆ではない過程に結びつけるというものである。Rasタンパク質(Ras Protein、ここに示すのはPDBエントリー 5p21)はこの方法を用いる。このタンパク質は通常、結合部位にGDPが結合したOFFの状態になっている。ON状態に切り替わる際、GDPはGTPと入れ替えられる。そして信号の配信が終わると、GTPは切断されてGDPとリン酸になりタンパク質は確実にOFF状態に戻る。Rasタンパク質にはっきりとしたOFF状態があることは特に重要である。なぜならこれは細胞成長の制御と密接な関係があるからである。
Rasがん遺伝子
がん遺伝子(oncogene)は「がん」と密接に関係する遺伝子で、Rasタンパク質をコードする遺伝子はがん遺伝子として最初に発見されたものである。がん遺伝子が変異すると、コードしているタンパク質の機能が変化して、がんが成長し広がるのに必要となる悪性のある性質を生み出す。例えば、あるがん遺伝子はp53腫瘍抑制因子(p53 tumor suppressor)のようにプログラム細胞死に関係しているが、この遺伝子に発がん性変異が起こると、がん細胞は異常な成長を食い止める強力な防御機構を回避できるようになってしまう。Rasタンパク質は、成長量の許容範囲を制御する細胞の間でやりとりされる信号に関わっているが、Rasタンパク質にがんを引き起こす変異が生じると常にONの状態となるタンパク質がができる。これはがん細胞に対し、通常の細胞成長の制限を受けることなく増殖するよう指示し続けることになるので、惨事を招いてしまう。
Rasタンパク質の相手
Rasタンパク質は成長に関する信号を配信する複雑な信号伝達ネットワークの中間に位置し、様々な種類のタンパク質によって支えられている。ここに示すSos-1(PDBエントリー 1bkd、上図右下)のようなGEFタンパク質(guanine nucleotide exchange factor、グアニンヌクレオチド交換因子)は、Rasタンパク質の結合部位をねじって開きGDPが出て行けるようにすることで、Rasタンパク質のスイッチをONにする。次に空いた結合部位にGTPが結合してON状態となり、PI3Kγ(PDBエントリー 1he8、上図左)のようなエフェクター(effector)と相互作用する。このPI3Kγは信号伝達ネットワークの中で脂質をリン酸化する脂質リン酸化酵素(lipid kinase)である。Rasタンパク質単独ではGTPを分解する速度は遅いが、その過程はp120GAP(PDBエントリー 1wq1、上図右上)などのGAP(GTPase-activating protein、GTP分解酵素活性化タンパク質)によって促進される。
構造をみる
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多くのRasタンパク質の構造が解かれていて、それらは信号伝達サイクル中の様々な構造状態を示している。ここに示すのは、GTPが結合したON状態のRasタンパク質の構造(左、PDBエントリー 5p21)と、GDPが結合したOFF状態の構造(右、PDBエントリー 4q21)である。これらの構造を比較することで、ヌクレオチドの近くにある2つの環状領域(緑色部分)の構造が変化していることが明らかになった。この構造変化が、信号を伝達するエフェクタータンパク質によって認識される信号となる。また構造から61番残基のグルタミン(glutamine)が重要であることも明らかになった。この残基は水分子を然るべき場所に置いて切断反応を実行する。がん細胞ではこのグルタミンが変異していることがよくある。そうなるとGTPは決して切断されなくなり、タンパク質は常にONの状態となる。上図下のボタンをクリックして対話的操作のできる画像に切り替えると、このアミノ酸の作用を示す他の構造をいくつかみることができる。
理解を深めるためのトピックス
参考文献
- 2011 Ras oncogenes: weaving a tumorigenic web. Nature Reviews Cancer 11 761-774
- 2001 The guanine nucleotide-binding switch in three dimensions. Science 294 1299-1304
- Alfred Wittinghofer氏によるiBio seminar(講義の動画、英語)