164: セロトニン受容体(Serotonin Receptor)
「今日は楽しいかい?」「おなか空いた?」「偏頭痛が痛む?」これらを含む多くの行動は、神経伝達物質の一つセロトニン(serotonin)が制御に関わっている。セロトニンはアミノ酸の一種トリプトファン(tryptophan)から作られる小分子で、血管の構築においてある役割を果たしていることが明らかになっている。体内にあるセロトニンのほとんどは消化器系で見られ、消化に必要な動きを制御するのに役立っている。しかし、最も劇的な効果を発揮する場所は脳である。情報のやりとりにセロトニンを使う神経細胞は百万個中一個にも満たないが、これだけあれば感情、気分、思考を制御するのに十分効果がある。
気まぐれな信号
セロトニンは神経細胞内の小胞から放出され、信号の伝達先となる細胞の表面にある受容体によって拾われる。私たちの体内にはこのような受容体が15種類あって、そのほとんどはGタンパク質共役受容体(G protein-coupled receptor、GPCR、ここに示すのはPDBエントリー 4iar )になっている。セロトニンは細胞の外側にある受容体部分(図では図の上方)に結合する。結合することでタンパク質の形状が少し変化し、細胞内にあるGタンパク質(G protein)に信号が伝えられる。この信号は、細胞に興奮反応を引き起こす場合もあれば、抑制する方向の影響をおよぼす場合もある。どちらになるかは全て、細胞表面にどのような受容体があるか、個々の細胞が他の細胞とどのような関係にあるかに依存している。
セロトニンを止める
セロトニン受容体に結合して通常の信号伝達過程に修正を加える薬には様々な種類のものがある。ここに示すのはそのような薬の一種エルゴタミン(ergotamine)で、本来ならセロトニンが来るべきところに結合する。エルゴタミンは受容体を活性化し、偏頭痛につながるような痛みを伴う血管拡張を制御するのに使われる。一方、LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド lysergic acid diethylamide)は、幻覚(hallucination)や共感覚(synesthesia)などの知覚に関係するセロトニン受容体を阻害する。セロトニンは多くの感情的、生理的過程の制御において中心的な役割を担っていることに着目し、セロトニン受容体やセロトニン輸送体(serotonin transporter)の働きを妨げる新たな薬の探索が行われている。しかしここで課題となるのが、多くの受容体が非常に似ているためセロトニンを阻害する薬は致命的な副作用を持ちうるという点である。食欲抑制薬フェンフェン(Fen-Phen、フェンフルラミン/フェンテルミン fenfluramine/phentermine)はリコール(不良品回収)の対象となった薬で、副作用の問題についてぴったりの事例である。この薬は食欲に関係する受容体の働きを阻害するが、同時に心臓弁の制御に関する受容体も攻撃してしまうのである。
セロトニンの輸送
セロトニンは信号を伝える仕事を終えると、セロトニン輸送タンパク質(serotonin transporter protein)によって神経細胞へと運び戻される。この輸送体は細胞膜にあって、セロトニン分子を輸送する際、セロトニン一個につきナトリウムイオン(sodium ion)と塩化物イオン(chloride ion)も一つずつ一緒に運ぶ。ここに示すのは細菌細胞から得られた輸送体と似たタンパク質(PDBエントリー 3gwv)である。輸送体はセロトニン受容体と並んで、様々なうつ病(depression)の治療薬が作用対象とするタンパク質である。例えば、この構造には輸送経路となるトンネルを邪魔するフルオキセチン(fluoxetine 商品名 プロザック Prozac)が含まれる。また「エクスタシー」(exstasy、MDMA(3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン 3,4-methylenedioxymethamphetamine)の通称)などのアンフェタミン(amphetamine)系物質による薬物乱用でも、セロトニン輸送体が作用対象の一つになっている。
構造をみる
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セロトニン受容体の構造のうち種類によって異なっている部分を利用して、セロトニンを模した薬がより限られた対象だけに効くようにする試みが行われている。ここに示す構造はそれぞれ異なる種類のセロトニン受容体(PDBエントリー 4iar、4ib4)で、いずれもエルゴタミン(ergotamine)を伴っている。これらの構造は開発につながり得る一つの方法を示している。エルゴタミンはセロトニンよりも長い分子で、セロトニンと似た部分(緑色の部分)が受容体の窪みに深く結合する。そして残りの部分が窪みの上部に結合する。異なる受容体の構造を比較した時、違っている部分は結合部位から離れた部分にあることが多く、このことがより対象を限定した薬を設計するための新たなきっかけになるかもしれない。これらの構造をより詳しくみるため、上図下のボタンをクリックして対話的に操作のできる画像に切り替えてみて欲しい。
理解を深めるためのトピックス
- Gタンパク質共役受容体(GPCR)とGタンパク質の間の相互作用をPDBエントリー 3sn6 でみることができます。
- オプシン(opsin)、アドレナリン受容体(adrenergic receptor)などGタンパク質共役受容体(G protein-coupled receptor)の構造は他にも多数解かれています。PDBjのGASHやRASH、RCSBのCompare Structuresなどの構造比較ツールを使って、7つのαらせんでできている類似の構造と比較することができます。
- セロトニン受容体などいくつかのGPCRは、別の小さなタンパク質をタンパク質鎖の途中に挿入した改変タンパク質を使って構造が解かれています。なぜこのような操作が必要なのでしょう? そしてセロトニン受容体では何のタンパク質が使われているでしょうか。
参考文献
- 4iar & 4ibr 2013 Structural basis for molecular recognition at serotonin receptors. Science 340 610-619 10.1126/science.1232807
- 2012 Serotonin. Basic Neurochemistry, 8th Edition Academic Press 978-0-12-374947-5
- 2009 The expanded biology of serotonin. Annual Review of Medicine 60 355-366 10.1146/annurev.med.60.042307.110802
- 3gwv 2009 Antidepressant specificity of serotonin transporter suggested by three LeuT-SSRI structures. Nature Structural & Molecular Biology 16 652-658 10.1038/nsmb.1602
代表的な構造
- 4iar: セロトニン受容体
- 神経伝達物質のセロトニンはその信号をセロトニン受容体に届ける。信号を受け取ったセロトニン受容体はその信号を細胞内のGタンパク質に伝達する。この構造には抗片頭痛薬(antimigraine drug)のエルゴタミンが結合した受容体が含まれている。