033: HIV逆転写酵素(HIV Reverse Transcriptase)

著者: David S. Goodsell 翻訳: 工藤 高裕(PDBj)
逆転写酵素(PDB:3hvt)

ウイルスは油断ならない。ウイルスは細胞を攻撃する際、様々な種類の独特な機構を使ってくる。HIV(ヒト免疫不全ウイルス)も例外ではない。このウイルスはレトロウイルスである。これは感染対象細胞のゲノムにウイルス自身のゲノム物質を挿入する能力があることを意味している。しかし感染性のHIV粒子はゲノムをRNA鎖の形で保持している。そのため感染する間、ウイルスはどうにかしてRNAゲノムからDNAの複製を作る必要がある。これは非常に珍しいことである、というのも通常の細胞機械は全てDNAからRNAの複製を作るよう設計されていて、その逆を行うようにはなっていないからである。DNAは通常、別のDNA鎖を鋳型として使う場合にのみ作られる。この巧妙な逆方向の合成は、ここに示した逆転写酵素(reverse transcriptase、PDBエントリー 3hvt)によって行われる。大きいカニのはさみのような形をした部分の内側にある活性部位で、HIVのRNAを複製し、ウイルスゲノムの2本鎖DNA版を作り出す。そしてこれを細胞のDNAと統合し、その後細胞に更なるウイルスの複製を作らせる。

小さなゲノム

ウイルスのゲノムは大変小さい。数個のタンパク質をコードする遺伝物質を持っているに過ぎない。ポリオウイルス(poliovirus)や風邪ウイルス(ライノウイルス rhinovirus)など多くのウイルスが持っている遺伝物質はぎりぎり最小限のもので、ウイルス自身の構造を指示し、細胞内に入った時に合成を開始させるだけの情報しか含まれていない。一方、HIVのゲノムはウイルスを再生産するのに使われるいくつかの酵素を作るための指示情報を持っている。逆転写酵素はそのような酵素のうちの1つである。ところがHIVのゲノム内の空間は大変貴重なので、逆転写酵素はある方策を使ってコードされている。この酵素は2つの異なるサブユニットで構成されているが、どちらも同じ遺伝子によってコードされている。タンパク質が作られた後、一方のサブユニット(黄)は切断されて小さくなり、元の全長の大きさを持つもう一方のサブユニット(赤)とうまくペアを組むことができるようになる。

いい加減な酵素

逆転写酵素は、遺伝情報の通常の流れを逆行させるという、珍しい技をやってのけるが、その仕事はかなりいい加減である。細胞でDNAとRNAを作るポリメラーゼ(polymerase)は大変正確で、ほとんど間違いを犯さない。これはなくてはならないことである、というのもポリメラーゼは私たちの遺伝情報を管理していて、間違いを犯せばその情報は子孫へと伝わってしまうかもしれないからである。一方、逆転写酵素はたくさん間違いを犯し、その頻度は塩基の複製2000個につき1個程度にまでなる(もしこれと同じ頻度の間違いが「今月の分子」で起こったなら、今月の記事中には2つの誤記が含まれることになる)。これは深刻な問題を引き起こすと思うかもしれない。ところが実際は、この高頻度の間違いが今日の薬剤治療においてウイルスに有利な点があることが分かっている。この間違いの多さによってHIVはどんどん変異していくので、治療を始めてからほんの数週間で薬剤耐性がみられるようになる。幸いにして、最近開発された数種類の薬を組み合わせる治療法を使えば、この問題に対抗するのに効果的であることが多い。ウイルスは同時に数種類の薬によって攻撃されるが、全ての薬から同時に逃れるような変異はできないからである。

2つの酵素を1つに

逆転写酵素とDNA(PDB:2hmi)緑と青の分子はDNA、上部にDNAを合成するポリメラーゼ部位、下部に鋳型のRNAを分解するヌクレアーゼ部位がある。

逆転写酵素はいくつかの機能を行う。名前が示しているように、この酵素はRNA鎖を鋳型としてDNA鎖を作ることができる。この反応は、RNAとDNAを囲む2本の腕でできているポリメラーゼ(polymerase)活性部位で行われる。その部位は上図(PDBエントリー 2hmi)の上の方にある。DNA鎖が作られた後は、鋳型として使ったRNA鎖を切断して粉々にし除去する。この反応はポリメラーゼ活性部位とは反対側にあるヌクレアーゼ(nuclease)活性部位で行われる。最後に酵素は、できたばかりの1本目のDNA鎖に合った2本目のDNA鎖を作り、最終目標の二重らせんDNAができる。この反応もポリメラーゼ部位が行う。

構造をみる

抗HIV薬ネビラピンが結合した逆転写酵素(PDB:1jlb)

現在ある一連のHIV感染に対抗する極めて有効な薬は、現代の薬剤設計の重要な成功例の1つである。2種類の薬が逆転写酵素の作用を阻害し、HIV感染を止めるのに用いられている。1つはAZT(azidothymidine、アジドチミジン)など結合部分を欠いた修飾ヌクレオチドである。これは通常のヌクレオチドと同様に酵素によって用いられ、伸張中のヌクレオチド鎖に付加される。ところが、次のヌクレオチドをつなぐ部分がないため、DNA鎖の合成は停止する。もう1つの型の薬は酵素の背後に結合して活性部位の形を変え、活動を阻害するというものである。上図に示したのはそのような薬の一例であるネビラピン(nevirapine、白い分子)を含む構造(PDBエントリー 1jlb)である。ネビラピンが活性部位の底のすぐ下、DNAとRNAが結合する大きな溝の下にどのように位置しているかに注目して欲しい。

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逆転写酵素についてさらに知りたい方へ

以下の参考文献もご参照ください。

この記事はRCSB PDBPDB-101で提供されている「Molecule of the Month」の2002年9月の記事を日本語に訳したものです。転載・引用については利用規約をご覧ください。

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