68: 神経栄養因子(Neurotrophins)

著者: David S. Goodsell 翻訳: 工藤 高裕(PDBj)
神経伸長因子(PDB:1bet)

私たちの脳は850億個の神経細胞(neuron)が互いに結合してできている。個々に、それぞれの神経細胞は多くの隣接する神経細胞から信号を受け取り、その信号に基づいて他の神経細胞へと信号を送り出すかどうかを決めている。このような神経細胞全体の活動を組み合わせることによって、周辺環境を知覚し、見たものについて考え、適切な行動を取ることができるようにしている。驚くべきことに、この複雑な構造は胎児(embryo)が乳児へと成長する9ヶ月間という短い期間に形成される。神経細胞はよく見られるぎっしり詰まった細胞として最初は作られるが、長い軸索(axon)と樹状突起(dendrite)を伸ばし、脳内にある他の神経細胞だけでなく体内の完全に別の部分にある神経細胞とも結合を形成する。脳内で成長中の神経細胞は隣接する細胞との結合を試し、適切な配線を探す。この過程で混み合い過ぎた領域にある神経細胞の半分は破棄される。残り半分は神経系(nervous system)となる。生涯を通じて、この神経細胞は通常再生産されないが、より多くの樹状突起を隣接する細胞へと伸ばすことによって、神経系を成長させたり損傷部位を修復したりしている。

生死の決定

神経発生におけるこの過程で、ニューロトロフィン(neurotrophin)は神経細胞が生きるべきか死ぬべきかの決定を助けている。ニューロトロフィンは神経系から分泌される小さなタンパク質である。安定してニューロトロフィンの濃度が低いことが、神経細胞が生きるためには必要である。ところが、ある状況では、ニューロトロフィンの存在は逆の効果をもたらし、制御された細胞死を開始する。神経系が発達する間は、局所的なニューロトロフィンの濃度が不要な神経細胞の除去を制御する。その後は、必要とされる場所での新たな樹状突起の伸長促進に用いられたり、混雑しすぎた場所で樹状突起を除去したりする。

ニューロトロフィンの型

これまでに4種類のニューロトロフィンが発見されている。上図に示した神経成長因子(nerve growth factor、PDBエントリー 1bet)、脳由来成長因子(brain-derived growth factor)、ニューロトロフィン3、そしてニューロトロフィン4である。それぞれ少しずつ性質が異なっており、神経細胞における各型特有の領域に違った作用をする。いずれも同じ2つの鎖から成る似た構造を持っていて、大変よく似ているため場合によってはある型が別の型の代わりをする。

病気と薬におけるニューロトロフィン

アルツハイマー病(Alzheimer's disease)、脳卒中(stroke)、がん(cancer)など数々の衰弱させる病気は、ニューロトロフィンの誤作用が一因となって神経が損傷を受けることにより起こりうる。これらの疾患に対する現在の治療法は、神経機能の損失制御を助けるニューロトロフィンを加えるというものである。ただ残念ながら、ニューロトロフィンは薬として用いた時は体内でそんなに長くは持続せず、重い副作用がある。そこで現在、研究者たちは細胞がニューロトロフィンから信号を受け取っていると思うようだます薬を探している。

ニューロトロフィン受容体

左:TRK受容体(PDB:1www) 右:p75ニューロトロフィン受容体(PDB:1sg1)

神経細胞表面にある2種類の受容体がニューロトロフィンの濃度を検知し、細胞が生きるべきか死ぬべきかを決める。TRK受容体(TRK receptor)はニューロトロフィンに結合し、通常は正の信号を細胞に送って生存や成長を促す。この受容体は神経細胞の細胞膜に埋まっている状態で存在し、細胞の外側にはニューロトロフィン結合部位が、細胞の内側にはチロシンリン酸化酵素(tyrosine kinase)部位がある。上図左に示したPDBエントリー 1www は受容体の細胞外部分に由来するドメインを含む(その他のドメインは模式的に示している)。ニューロトロフィンの両側に2つの受容体(青色)が結合していることに注目して欲しい。一方、p75ニューロトロフィン受容体と呼ばれる2つ目の受容体は通常逆の作用を持つ。この受容体にニューロトロフィンが結合すると、細胞死が誘導される。右に示したPDBエントリー 1sg1 はこの受容体のニューロトロフィン結合部位を含んでいる。なお、遺伝的視点からみた更なる情報が欧州バイオインフォマティクス研究所(EBI)の「今月のタンパク質」で提供されている。

構造をみる

左:神経成長因子(PDB:1bet) 右:ニューロトロフィン-4(PDB:1b98)

ニューロトロフィンは細胞外の環境では安定でなければならない。安定さを助けるため、4種類のニューロトロフィンはいずれも通常見られない3つのジスルフィド架橋(disulfide bridge)を持ち、それにより各鎖がくっついて折りたたまれた構造となる。ここには2つのニューロトロフィンを示している。左は神経成長因子(PDBエントリー 1bet)、右はニューロトロフィン-4(PDBエントリー 1b98)である。これらのタンパク質を調べてみると、鎖の両端がジスルフィド結合によって動けなくなっていることに気づくだろう。なお、PDBエントリー 1bet の構造を見るには、生物学的単位で見る必要がある。結晶学的ファイルには2本ある鎖のうち一方しか含まれていない。

ニューロトロフィンについてさらに知りたい方へ

以下の参考文献もご参照ください。

この記事はRCSB PDBPDB-101で提供されている「Molecule of the Month」の2005年8月の記事を日本語に訳したものです。転載・引用については利用規約をご覧ください。

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