34: ジヒドロ葉酸還元酵素(Dihydrofolate Reductase)
ジヒドロ葉酸還元酵素(dihydrofolate reductase)は、DNA構築などの過程において補助的ではあるが不可欠な役割を果たす小さな酵素である。この酵素の役割は葉酸(folate)の状態管理で、葉酸は反応中に炭素原子を必要とする酵素へ炭素原子を運ぶ長い鎖状の有機分子である。炭素を渡す相手として特に重要なのは、チミジル酸合成酵素(thymidylate synthase、チミジン1リン酸合成酵素)で、これはDNAにとって不可欠な構成要素であるチミン塩基(thymine base)を作るのに炭素原子を使う。葉酸が炭素原子を放出した後は再利用されるが、その仕事はこのジヒドロ葉酸還元酵素によって行われる。
タンパク質の道具
ここに示したジヒドロ葉酸還元酵素(PDBエントリー 7dfr)は2つの比較的大きな分子を反応中に取り扱う。この酵素は長い溝を持っており、その一端には葉酸(赤紫色の部分)が、もう一方の端にはNADPH(緑色の部分)が結合する。ご覧の通り、タンパク質は側鎖で2つの分子がしっかり隣り合うよう包み込む。そして酵素は水素原子をNADPHから葉酸へと転移させ、葉酸を有用な還元型へと変換する。
がんと戦う際の標的
薬剤治療において、不可欠な役割を果たす酵素を標的にすると効果が現れやすい。ジヒドロ葉酸還元酵素は最初にがん化学療法の標的となった酵素で、この時抗がん剤として最初に用いられた薬がアミノプテリン(aminopterin)である。これは葉酸の数千倍の強さでジヒドロ葉酸還元酵素と結合し、酵素の作用を阻害する。今日では、より強く結合し臨床的特性も良いメトトレキサート(methotrexate)やその誘導体がアミノプテリンの代わりに用いられている。これら薬剤はDNA産生の重要な段階を攻撃するので、増殖していない細胞よりは活発に増殖している細胞を殺す傾向にある。がん細胞は患者の体内で最も急速に増殖している細胞となっていることが多いため、薬剤は体内の細胞の中でがん細胞に対して最も強い効果を示す。ただ、毛包(hair follicle)や胃の裏層(lining of the stomach)といった正常に増殖している組織に対しても薬剤が作用することにより、化学療法の副作用が起きてしまう。
違いを利用する
ジヒドロ葉酸還元酵素は全ての生物で用いられる酵素であるが、生物にごとに使われている酵素の形は少しずつ違っている。生命進化の過程において、ジヒドロ葉酸還元酵素の設計はゆっくりと変異し、少しずつ形を変化させてきたが、不可欠な機能は維持し続けてきた。その結果、細菌のジヒドロ葉酸還元酵素(上図左、PDBエントリー 3dfr)は、私たちの細胞が持つもの(上図右、PDBエントリー 1dls)よりも小さく、よりスリム化されたものになった。構造を見れば分かるように、どちらも同じようにNADPH(緑色の部分)と薬のメトトレキサート(赤紫色の部分)が結合している。ところが、両者の間には違う点もあり、それを利用して薬剤開発がすすめられてきた。例えば、トリメトプリム(trimethoprim)という薬は細菌のジヒドロ葉酸還元酵素に約3万倍も強く結合する。そのため、この薬は抗生物質薬として効果的である。トリメトプリムを少量投与するだけで細菌のジヒドロ葉酸還元酵素は攻撃されるが、私たちの細胞が持つジヒドロ葉酸還元酵素は比較的影響を受けなくて済む。
構造をみる
薬のメトトレキサートは葉酸分子をまねて設計されているので、酵素の活性部位に結合して酵素の活動を阻害する。メトトレキサートは葉酸とほぼ同じ大きさで、似た化学的構造を持っている。上図に示した初期に解かれた結晶構造(PDBエントリー 7dfr、3dfr)で、この薬は実のところ葉酸と似ており、非常に似た場所に結合することが確かめられた。この図で、NADPH中の炭素原子は緑で、薬分子中の炭素原子は白で示されている。ヌクレオチドの下端にあるニコチンアミド環が、どのようにしてメトトレキサートや葉酸の平らな環に対してきっちり詰め込まれているのかに注目して欲しい。化学反応が行われる間、水素原子(残念ながら結晶構造では見えていない)はニコチンアミドからこの大きく平らな環へと移されている。
ジヒドロ葉酸還元酵素は長年重点的研究の的となってきたので、現在では様々な基質や薬剤と結合した構造がPDBに登録されている。これらの構造を見る際、この小さいが重要な酵素の働きを阻害するのに様々な手法が使われていることに注目して欲しい。
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