169: HIV外被糖タンパク質(HIV Envelope Glycoprotein)
ウイルスは難しい問題に直面している。細胞に入り込みたいのだが、細胞は保護膜で囲まれてしまっている。HIV(Human Immunodeficiency Virus、ヒト免疫不全ウイルス)やインフルエンザウイルス(influenza virus)のように外被(envelope)で囲まれたウイルスの場合、ウイルス自身も細胞と似た膜で囲まれているが、この種のウイルスは自身の膜を細胞の膜と融合させることでこの問題を解決している。HIVの外被糖タンパク質(envelope glycoprotein、Env)は、膜融合に必要な何段階もの複雑な段階を実行する。まず最初に、ウイルス自身のタンパク質を細胞表面にくっつける。それがばね仕掛けのねずみ取りのように働いて新たな構造を取り、膜同士が融合するのに充分な距離までウイルスと細胞を引き寄せる。そして最後に、HIVのゲノムが細胞内に放出され、すぐに新たなウイルス作りが始まる。
Envの合成
Env糖タンパク質(Env glycoprotein)はHIVの表面にあるタンパク質で、同じサブユニットが3つ集まって小さな突出部をつくる。表面は糖鎖でおおわれていて、各3量体にはグリコシル化部位(糖鎖が結合する部位)が81個ずつ存在する。このタンパク質の遺伝情報は、HIVゲノム中ではgp160(gpは「糖タンパク質」(GlycoProtein)の略)と呼ばれる1つの長いタンパク質を作る遺伝子に収められている。gp160が合成された後、感染先細胞の表面に輸送され、多くの糖鎖が付加されて、最終的にはgp120とgp41と呼ばれる2つの断片に切断される。そして、細胞内で複製されたウイルスに組み込まれて細胞表面から飛び出していく。
Envの構造解明
HIV外被糖タンパク質は柔軟な糖鎖でおおわれている上、通常は膜に結合して元々柔軟な構造をもっていることから、特に研究が難しいとされてきた。なおこのような性質を持つのは、膜融合の過程中何種類かの異なる形状をとる必要があるためである。この問題に対し、柔軟な部分や粘っこい部分を切り落とし、分子の固い部分だけの構造を解くという方法がとられてきた。ここに示す構造(PDBエントリー 4nco)は、これまでに解かれた構造の中で最も完全なものの一つである。この構造には多くの糖鎖(橙)を伴ったgp120(黄)と、外側部分のgp41(赤)が含まれている。この分子の構造研究は電子顕微鏡でも行われている(PDBエントリー 3j5m、4cc8)。この構造には幅広くウイルスの感染力を低下させる中和抗体(neutralizing antibody、ここには示していない)もEnvに結合している。この抗体を使ってワクチン設計の研究が行われているが、詳しくは来月の「今月の分子」で取り上げることにする。
細胞の受容体
Env糖タンパク質のgp120部分は、細胞を探し出してEnv糖タンパク質を細胞にくっつける役目をする部分で、細胞表面から伸びているCD4タンパク質(青で示す部分)と選択的に結合する。CD4と結合すると、gp120は形状が変化して細胞にある2つ目の補助受容体に結合できるようになる。これにより細胞との結合がより強固なものとなり、融合過程が更に進められる。初期に解かれた構造(PDBエントリー 1gc1)によってCD4とgp120がどのように相互作用するのかが明らかなった。この構造は、より扱いやすくなるよう末端を除去して短くした柔軟な環状タンパク質を持つウイルスタンパク質を使って解かれた。 ここに示す図は、この革新的な構造と、より最近になって解かれた3量体の構造とを重ね合わせて作られたもので、ウイルスが細胞に付加される過程で全体がどのように配置されるのかを示している。
構造をみる
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Env糖タンパク質のgp41部分は、gp120部分が細胞表面に付加された後、ウイルスを細胞内に侵入させる働きをする。インフルエンザウイルスの赤血球凝集素(hemagglutinin、ヘマグルチニン)と同じく、タンパク質の大きな形状変化によってウイルス膜と細胞膜が近くに引き寄せられると考えられている。どちらのウイルスの場合も、左に示すSIV(Simian Immunodeficiency Virus、サル免疫不全ウイルス)のgp41タンパク質(PDBエントリー 2ezo)のように、特徴的ならせんの束をつくることが重要である。この相互作用に着目し、らせんの束の一部に似せた新たな薬が開発されているが、この薬はこの重要な構造の形成を妨げる。右の図(PDBエントリー 3vie)はこのような薬(緑の部分)がgp41のらせん束(赤の部分)の内側部分に結合している様子を示している。図の下のボタンをクリックして、対話的操作のできる図に切り替え、より詳しく構造を調べてみて欲しい。
理解を深めるためのトピックス
- 融合阻害薬の構造が多数PDBに登録されています。「HIV-1 融合 阻害剤」(HIV-1 fusion inhibitor)で検索してみてください。
- 電子顕微鏡で研究された情報を収めたEMDataResourceでEnv糖タンパク質全体の様子をみることができます。HIVのEnvの例([[EMDB:1596]])やSIVのEnvの例([[EMDB:5272]])をご覧ください。
参考文献
- 4nco 2013 Crystal structure of soluble cleaved HIV-1 envelope trimer. Science epub ahead of print. 24179159
- 3vie 2011 Broad antiviral activity and crystal structure of HIV fusion inhibitor sifuvirtide. Journal of Biological Chemistry 287 6788-6796 10.1074/jbc.M111.317883
- 2011 HIV envelope: challenges and opportunities for development of entry inhibitors. Trends in Microbiology 19 191-197 10.1016/j.tim.2011.02.001
- 2011 HIV-1 envelope glycoprotein biosynthesis, trafficking and incorporation. Journal of Molecular Biology 410 582- 608 10.1016/j.jmb.2011.04.042
- 1gc1 1998 A conserved HIV gp120 glycoprotein structure involved in chemokine receptor binding. Science 280 1949-1953 10.1126/science.280.5371.1949
- 2ezo 1998 Three-dimensional solution structure of the 44 kDa ectodomain of SIV gp41. EMBO Journal 17 4572-4584 10.1093/emboj/17.16.4572
代表的な構造
- 4nco: HIV外被糖タンパク質
- 外被糖タンパク質はHIVを感染先の細胞に付加し、ウイルスと細胞膜との融合を促す。この構造には、ウイルス膜から外側へ伸びる部分に幅広くウイルスの感染力を低下させる中和抗体が結合したものが含まれている。
- 1gc1: HIV外被糖タンパク質
- 外被糖タンパク質はHIVを感染先の細胞に付加し、ウイルスと細胞膜との融合を促す。この構造には、外被糖タンパク質のうち細胞表面に付加される部分「gp120」の短くなったものが、細胞受容体CD4と抗体に結合したものが含まれている。
- 2ezo: SIV外被糖タンパク質
- 外被糖タンパク質はHIVを感染先の細胞に付加し、ウイルスと細胞膜との融合を促す。この構造には、外被糖タンパク質のうちウイルスと細胞の融合を推し進める役割をする「gp41」の一部が含まれている。